覚悟を決めて宮忠の彫刻師に
高校2年の時に社長である父親から「お前は昔から物を作るのが好きだったから、富山県にある井波彫刻を学んで宮忠の彫刻師にならないか?」と言われました。
話を聞いてみると、井波彫刻には徒弟制度の修行があるらしく、その修行期間は5年という長いものでした。
最初は伊勢を遠く離れて全く知り合いが居ない土地に行く不安と、遊びたい盛りの5年間を修行に捧げるということが嫌で、頑なにNOと言っていました。
しかし、父親、母親、姉からの強烈な勧めに押された私は、迷いながらも覚悟を決めて宮忠の彫刻師になるべく修行に出ることを決心しました。
私は今、第一製作部で彫刻を任せていただいてます。
神棚に添える鏡台や壁に取り付ける持ち送り板に施す雲形のウズの彫り、色々な神具に入る彫刻を担当しています。
正直なところ、自分の本心で修行に出たわけではなかったので、途中2年は伊勢に帰りたい気持ちがありました。
しかし、井波に来ていた同世代の弟子の同僚や、周りの方に支えていただいたおかげで5年半の修行を無事に終えることができました。
自分の今を思いっきり彫刻する
宮忠に帰ってから2年程経つ頃に、9尺もある大きなお社に添える鏡台を彫らせていただきました。その鏡のサイズは2尺もありました。
図案の構成や、どのような材料を使うか、どういった彫りに仕上げるか・・・。考える事は山のようにありましたが、一つだけ最初から決めていた事は「お客様に喜んでもらえるように、自分の今を思いっきり彫刻する。」という事でした。
彫り始めてからは、どの様に彫れば迫力のある鏡台になるのか、そればかり考えていました。
出来上がった彫刻をお客様に納品する日は、とても緊張していたのを覚えています。鏡台を白い布に巻いて納品先に向かいました。
お客様は私の彫りを見て一言「いい彫りだねぇ。」と言ってくださいました。その瞬間は嬉しさがこみ上げてきて、本当に彫刻をやって良かったと実感しました。
仕事へのこだわりとしては、特に彫りのラインが綺麗に流れている様に見せる事を大事にしています。
例えば荒々しい彫りが特徴の岩の彫刻と、繊細な彫りが特徴の雲や波の彫刻。
一見正反対な彫りに見えますが、どちらも綺麗な流れができていないと締まりのある彫りにはなりません。彫るものにはそれぞれの流れがあるのです。
どんな流れを意識すれば、彫刻が見栄えの良いものになるかを大切に考えています。
思い切って彫るため、イメージを立てることが大切。
思い切って彫る事を先輩から学びました。
彫刻は木を削って仕事をするので、一度刃を入れると元には戻りません。迷いや恐れがあると、なかなかノミで削り出すことができませんが、削らないことには仕事が前に進みませんし、仕上がりのイメージも想像できません。
仕事にかかる前に、彫る物はどの様な特徴があるのか・・・。どこを際立てれば躍動感のある彫刻になるのか・・・。これらをよく観察して、デッサンや粘土でイメージを立てることが大切だと先輩から教えていただきました。
そうすれば、いざ彫るとなった時に自分の頭の中に仕上がりのイメージが描けていますので、勢いよく彫ることができるのです。
「石の上にも三年」、仕事を好きになる努力をしよう。
仕事にやりがいを見つける事、仕事を好きになる努力をすることが大切だと思います。もともと好きで彫刻を始めた訳ではなかった私でも、今はとてもやりがいを感じています。
時には逃げ出したくなりそうに思った時もありましたが、「石の上にも三年」ということわざがあるように、続けて行くことで仕事に対してのやりがいを見つけることができました。
神棚や社寺の彫刻は昔から伝わる伝統的な彫り方です。その彫りには様々な技や工夫がなされていて、本当に感心させられます。
もっと腕を上げて、先人達が残してくれた技を身に付けたいと思っています。
簡単な事ではありませんが、宮忠にご注文いただいたお客様全員に喜んでもらえる彫りをしたいです。
伊勢志摩は海と山があり、空気はとても澄んでいて食べ物も美味しいですが、伊勢と言えばやはり神宮だと思います。小さな頃はあまり意識をしていませんでしたが、大人になってからはその意識が変わりました。
修行を終えて実家に帰る途中に外宮の前を車で通りました。その瞬間に私の大切な故郷に帰ってきたんだと実感し、自然と心が落ち着き、伊勢の地で私達を見守ってくださる神様に感謝させていただきました。
川西弘志
昭和61年9月17日生まれ
平成17年3月 伊勢宮忠に入社
趣味:カラオケ
ここなら自分に合っている。安堵の気持ちと喜びが湧きました。
小さいころから物作りが好きで将来は建築関係の仕事に就こうと思っていましたが、高校進学の時に建築科の高校に進学をせず、全く違う科目を勉強する高校に進学してしまいました。何気に過ごしていた3年間でしたが就職活動の時に目に留まった会社が宮忠でした。先生にどのような会社か聞いて、ここなら自分に合っていると思い就職したい気持ちがいっぱいになったのです。自分は今、第一製作部でお客様からご要望いただく別注製品をはじめ、規格のお社、木工クラフトや記念品など色々なものを製作させていただいています。
今となっては恥ずかしいことですが、仕事に就いたばかりの頃は先輩の下について、言われた事だけをこなすだけで余り考えることもなく仕事をしていたように思います。徐々に仕事を任せられるようになり、ある時一つの製品製作を一人で全工程任せられた時は心の中で「まだ無理だ!まだ早いのに」と思いながらも製作にかかりました。初めて一人で一から考え製作し完成させる事が出来た時は形になったという達成感と自分の作ったこの製品がちゃんと出来ているのか不安が交差していました。先輩に見てもらって「上出来!」と言われた時は安堵の気持ちと喜びが湧きました。よく覚えている嬉しかったことの一つですね。
先輩から学んだ、良い材料の見分け。そして仕事へのこだわり。
仕事をはじめてつらかったことは先輩の下で仕事をしていて、木出し・木取りの仕事を任されたのですが、木の種類、木の良し悪しなどほとんどわからず出す材木、出す材木「違う、使えない」の連続で取り直し続けたのを覚えています。しかしその時の経験があって今、良い材料や種類の見分け方が出来ているのだと思います。
仕事に対しては自分の中にこだわりがあり、人から褒められても、まだもっと上手く出来るはずと常に向上心を持っています。たとえば千木の穴は厚み3cmぐらいの板を裏表まっすぐ四角の穴を抜くのですが、他の人から見たら綺麗に抜けて上手と言われるけど自分の中ではまだまだ理想と違い、まだまだ気にいった穴を開けることが出来ていません。だけどこれはどこまで行っても納得する自分にたどり着かないとも思うのです。納得するとそこで止まってしまう気がするから自分でゴールを決める事はないと思います。そしてもう一つ、今ある形からここを別の造り方に改めた方が良くなる、こうした方が早くきれいに組み上げられるのでは、と今ある良いものをこの先より良い物になるように常に製品を見極める視野を広げた仕事を意識しています。
仕事は眼で見て覚え、感じて覚える。視野を広げる努力と楽しみを。
「仕事は直接教えてもらうだけではなく、自分から人の仕事を見て覚えなければいけない」と先輩から言われた言葉が自分の中に今でも強く残っていて、仕事の段取りや加工の仕方、材木の使い方や道具の使い方など教えられるだけじゃなく、見て感じた方が覚えるのも早いと思うし今でもよく人の仕事している姿を見て勉強しています。
自分が先輩から教わった、見て覚えるということをしっかり後輩に伝えたいと思います。自分の仕事以外でも先輩・後輩関係なく何気に他の職人たちはどのように仕事をしているのか。特に自分の部署と違う(私なら彫刻部に興味があります!)職人などの仕事を見て、今は直ぐ役に立たなくても、それがこれから先には必ず何かの役に立つ事があるのだから、自ら吸収する努力を怠らずやっていきたいです。
今の自分より若い社員たちは、まだ教えたことに取り込んでその仕事をこなすのに精一杯と感じているだろうから、常日頃からもっといろんなものに興味をもって自分の視野、幅を広げて仕事に余裕を持つ努力をしてほしい。それが後々の自分の技術向上、発想の好転換となり視野が広がりもっと仕事が楽しくなると思っています。
自分たちはお伊勢さんのお膝元で神棚や神祭具を製作する仕事が出来るという誇りを持って、技術と共に先輩に教わったことを伝え継ぎ、さらなる自身の向上を目指したいと思います。
是非、伊勢へお越しください。
伊勢は神都ともいわれる伊勢神宮のお膝元です。この地で神さまに関する仕事をしているという事に誇りを持ち、伊勢の伝統、お宮造りの技術の継承を伊勢でしていきたいと思います。さらに知識の幅を広げ、技術を向上させてお客様により良い製品をお届けし喜んでもらうことが目標です。
伊勢は海・山・川が揃う自然が多く、食べ物も美味しいものがいっぱいありとても良いところです。何度でも足を運んでほしいですね。
藤原孝行
昭和53年10月30日生まれ
平成9年3月 伊勢宮忠に入社
趣味:自転車
好きな言葉:学んで思わざれば罔し。思うて学ばざれば殆し。
臆病者の目には、全て敵が大軍に見える。
小さい時から、もの造りが好きでした。
考えて造る、喜んでいただけるものを造るというロマン。
小さい頃に、いとこのお兄さんから譲り受けた衣装ケース一杯のレゴブロックに夢中になり、
何かを造る事が好きになりました。
中学、高校時代には、車が好きで車のプラモデル、ラジコンに夢中になり、プラモデルでは、
より実車に近づけるにはどうしたらいいか、またラジコンではどうすれば速くなるかなどを考え・組み立てするのが楽しく、それらを友達に見せた時に驚く様子が嬉しくて。
小さな頃からずっと何かを造り続けてきたので、就職するなら物を造る仕事、考えて物を造る仕事、
伊勢で生まれ育ったので、伊勢に関わった仕事をしたいと思いこの仕事に着きました。
私は、第一製作部というところで、主に別注品を製作しています。
大きなお社から、小さなお社、神具までなんでも製作します。
「カタログに載っていないけど、こんな形のお社を造って欲しい」など、お客様のご要望にお応え出来るように造っています。
施主様の「この子はよくやってくれたよ、頑張ってやってくれたよ」が嬉しくて
仕事をはじめて3、4年くらい経った時、お客様の家の押し入れに御霊舎を組み込む仕事を、
初めて一人で任される事になりました。
技術も、経験も未熟で不安要素だらけのなか現場へ向かいました。
施主様は、年輩の方で椅子に座って私の仕事をずっと無言で見ていました。
とても緊張して手が震えながら仕事をしたのを今でも覚えています。
自分に上手く綺麗に出来るかわからないけれど、とにかく一生懸命やろうと。
自分に任された仕事だからやるしかないと思い必死で仕事をしました。
仕事の終わりに、施主様と、社長と私と最終の確認をしていた時に施主様が社長に、
「この子はよくやってくれたよ、頑張ってやってくれたよ」と言って下さいました。
仕上りはまだまだ駄目だったと思いますが、その一言がとても嬉しく思い、
また仕事に対して喜びを感じたのと同時に、お客様の期待に応えられるような仕事が出来る様に、
ならなければいけないとも思いました。
初めての仕事や大きな仕事など、自分に出来るのかといった不安や、
プレッシャーが辛いと言うか大変ですが、それを乗り越えて物が完成し、
お客様に喜んでいただけると何とも言えない達成感へと変わります。
綺麗な仕上がりへのこだわり、音へのこだわり。
天からの恵みである材料へのこだわり。
こだわりにはいろいろありますが、特に全体の仕上りが綺麗に美しくなるように、
基本的な事ですが刃物をよく切らす事を意識します。
そうすると、つかなければいけない所が綺麗に付き、隙間が無くなりお社全体が
引き締まって綺麗に見えます。
また、お社の顔とも言えるお扉ですが、開閉時の「ギィー」という音を鳴らす事。
お扉のホゾ部分で調整するのですが、あまり鳴らせ過ぎると扉の開閉が硬くなり、
扉が割れてしまいます。柔らかくすると音が鳴りません。
祭事の時のお扉の音は、低目で絶え間無く鳴るのが自分なりにいいと思うので、
音にこだわって造ったりしています。
先輩から学んだ事はたくさんありますが、仕事の事で言うと木の使い方です。
天然の材木を使っているので、挽き割ったりすると色々な物が出てきます。
シミだったり、節だったり、ヤニだったりそれをなるべく出さないように木の見方、
また出てしまった時の木の使い方。
出てしまったから使わないのではなく、その木をどう使えば活かす事が出来るのか。
無駄にしなくてよいのか。という事も学ばさせてもらいました。
日本にしかない仕事。伊勢になくてはならない仕事。
伝統をしっかり伝える仕事。高みを目指してまいります。
後輩には、物を造る楽しさを伝えたいと思います。
図面と、頭の中にあるイメージが自分で部品を造り組み立てていくと、目の前で実物が出来上がっていきます。
自分の思い描いた通りに完成すると、とても楽しいですし悩んで苦労したほど達成感があります。
また、お客様に喜んでいただけると尚一層嬉しく思います。仕事ですから大変ですが、
その中でも楽しさを感じて仕事をしてもらえたらと思います。
お宮造りの仕事は、日本にしか無い仕事ですし、伊勢になくてはならない仕事だと思います。
お社の組み方、鉋の調子や、木を削るのに説明書やマニュアルもありません。
自分の指先の感覚や力加減など体で覚えるしかありません。
しっかり先輩から引き継いで、後輩へと繋いで行く。
伝統をしっかり引き継ぎ、若い世代の色も加えていくことも大切な仕事だと思いますので、
しっかりやっていきたいと思います。
このような仕事には上は無いと思いますので常に前進、腕を磨いて技術を高めていきたいと思います。
「また伊勢へ行きたいなぁ」と思っていただけるような宮造り
私は伊勢で生まれ育ちずっと住んでいますが、みじかなところに海・山・川があり、そして伊勢神宮があります。
とても良い所です。もし、家に私達が造らせていただいたお社、神棚をお祀りしていただくと、
伊勢神宮の雰囲気や伊勢の事を思い出していただけるような、
「また伊勢へ行きたいなぁ」と思っていただけるような宮造りをしていきたいと思います。
金子英郎
昭和53年6月4日生まれ
平成9年3月 伊勢宮忠に入社
趣味:ルアーフィッシング
伊勢宮忠への入社を決断させたのは、
幼いころから言われ続けていた祖父の言葉でした。
伊勢宮忠の長男として生まれたものの、大学卒業前まではここで働こうとは思っていませんでした。
生まれ育った伊勢の当時の印象は「田舎でぱっとしないまち」。
都会にすみたい!という思いが強く、高校卒業後は愛知県の大学に入学をし、
大学時代はラップ・ミュージックに没頭。環境も勢いも良く音楽の道に進もうかとも思っていました。
ところが、そんなとき頭によぎったのが、幼い頃から祖父の忠治(宮忠の先代)に言われ続けていた
「お前は長男やからなぁ、家持やでなぁ。」という言葉です。
音楽の道への未練がなかったといえば嘘になりますが、
祖父の言葉に突き動かされ家に戻って家業を継ぐと決断。
そうと決まれば早い方が良いと、卒業式を待たずして伊勢に帰ってきました。
伊勢宮忠に入社して十数年、今は常務取締役の役割を担わせてもらっています。
その仕事は多岐に渡り、
工場全体を管理し職人が働きやすい環境づくりをすること
お客様の要望を職人に伝え制作の指示を出すこと
工場から出す製品の品質管理
現場の下見や納入設置、メディア対応なども行っています。
伊勢宮忠でいろんな経験を積んでいます。
一番印象に残っているのは、初めて自分一人で木取りから組み立てまで行い一つの製品を作ったときのことです。
忘れもしない「八足案」という神具でした。
幼い頃から物作りが大好きで、当時のわくわく感そのままにひたすら作業に没頭していました。
たいへんだったという意味で印象に残っている出来事もあります。
それは、お社と鳥居、玉垣、灯篭を据える現場仕事でした。鳥居を建てるために地面に穴を掘り始めたのですが、地面が固くて夕方になっても鳥居が建ちません。
しかも、夏の暑い時期、炎天下での仕事。
伊勢宮忠の職人は私も含めて皆坊主頭なので、日焼けで頭の皮がめくれるほどでした。二日間で全員真っ黒、最後には心配して来てくれた専務の采配で何とか無事に納めることができました。帰りの車の中では放心状態だったことを今でも覚えています。
伊勢宮忠への信頼を裏切らないこと、
それが私の使命です。
伊勢宮忠のお客様は、私たちを信頼して商品をご購入くださっています。
そして、私の使命はその信頼に応え続けることであり、
日ごろから、一般の方では気づかない部分や職人でさえ見落とす細かい部分にまで気を配っています。
職人泣かせですが、これが職人の成長につながり、未来永却伊勢宮忠の品質を保つことになると信じています。
また、神棚や神具を手作りすることは毎日が神様とのふれあいで、日々黙々と木と向き合い、陶器と向き合い、神具と向き合いながら感じることは、信仰の中で生かされている喜びや有り難さです。この思いを若い職人にも引き継いでいきたいです。
先代から自分へ、そして次の代へ。
「伝統技術」と「感謝の心」を継承していきます。
伊勢宮忠は、代々神棚造りを営んでいます。
先人の努力はもちろんのこと、それぞれの代でお世話になった方々や伊勢宮忠をここまで育ててくださったお客様、多くの皆様にお力添えをいただき今の私たちがあります。
伝統を引き継ぐということは、技術の継承だけでなく、人と人とのつながりやいただいた御恩、そして、感謝の心を継承することだと考えています。
そういうわけで、私は地元伊勢に対しても大きな御恩を感じています。
伊勢に戻ってすぐに地元の青年団に入り夏祭りの運営のお手伝いに参加し、式年遷宮のお木曳きに向け「木遣り(きやり)」も始めました。地域とのつながりが深くなるにつれ、どんどんどんどん伊勢が好きになっていきました。伊勢に来られるお客様から伊勢の良さを教えてもらうこともたくさんありました。
なんとなくはじめた「木遣り」も10年がたち、今では木遣り部長をまかされています。今年、式年遷宮を迎え一区切りがつきましたが、次の遷宮に向けて「木遣り」も継承していかなくてはなりません。
伊勢のお役に立つよう、今後も地域の取り組みに参加していきたいと思っています。
もうひとつ、地元に恩返しができるのでは・・・という思いで取得した資格があります。
それは「神職の資格」です。大学で行われる講習に通い、「直階(ちょっかい)」という基礎的な階位の資格を神社本廳からいただきました。
現在は、別の神社で月に一度の月次祭を奉仕させていただいています。私の住む岡本町の神社は、現在町の役員さんが宮司をしているのですが、その後を継ぐ方がいません。いつか、そのときがきたら私がお手伝いさせていただくことがあるかもしれません。
最後になりましたが、私の夢はずっと伊勢宮忠を継承していくことです。
そのためにも、私自身が仕事や伊勢のことをもっともっと学び、よく知って、関わる人全てを笑顔にできる人間になりたいと思っています。これが代々続いていけばみんなが幸せになれる、そう思うのです。
川西洋介
昭和56年5月28日生まれ
平成16年2月 伊勢宮忠に入社
●趣味:宴会、打ち上げをして皆で笑うこと
●好きな言葉:好きを嫌いに・嫌いを好きに
●影響を受けた偉人:山本五十六