第三章

本物へのこだわり

第一節好調とは裏腹のジレンマ

内宮神楽殿竣工の翌年、晴れて通信販売がスタートしました。新聞の番組欄下に、通販業者が東日本・西日本と2回に分けて広告を掲載すると、宮忠の伊勢の神棚への注文は続々と寄せられました。
昭和56年3月には倉庫と工場を増設し、材木を管理する移動式ラックや製材機、大型の集塵機など設備を充実。人員も最大で40人ほどまで増やし、品質に影響しない簡単な木材の加工は未経験者でもできるよう、工程を工夫しました。「屋根の茅刈りを機械化できないだろうか?」と、2年ほどの期間とかなりの金額をかけて試行錯誤し、特注の機械も開発しました。ただ、職人が刈るような微妙な曲面が機械ではできず、結局、人の手による仕上げが必要なため、今では使われていませんが、当時はそれなりに活用されました。
それでも、従来の生産量の10倍を超える急増ぶり。人員が増えた分、未経験の者に宮造りを教える苦労も絶えません。業績は好調な半面、宮忠の理想とする姿とはほど遠く、治正の中で「こんなに無理をしてはいかん。ウチのペースで、本物にこだわった宮造りをしたい」との思いが強くなっていきます。

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