第二章

新たな販路を求めて

第三節問屋回りが功を奏する

治正が足を運んだ地域は、東京や埼玉、神奈川、千葉、栃木、茨城といった関東周辺だけでなく、山形、宮城、岩手などの東北にまで及び、一度出かけると3週間ほど伊勢には帰りませんでした。それらの地域を選んだ理由は、治正が経験的に「東の、それも伊勢から離れた地域の方が、『お伊勢さん』への思いが強い」と知っていたためです。
そのような地域では、商売に行った先で、人情味あふれるもてなしも受けました。「お前さん、今夜はどこに泊まるんだ?」と尋ねられ、あてもないのに「この先です」と答えると、「この先どこもないぞ。うちに泊まれ」と神社に泊めてくれて、食事やお風呂までお世話になったこともあります。ただ、それほど大きな商談にはつながりませんでした。
一方、東京の数件の問屋からは、取引をもらうことができました。また、名古屋には何軒か神棚専門の問屋があり、中には10や20という単位、新製品では1000もの数をまとめて仕入れてくれた店もありました。この後しばらくは、それらの問屋が主要な販売先となりました。

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