第一章

宮忠創業

第三節孫一から二代目・忠治の時代へ

昭和41年7月、孫一が亡くなり、国民神殿斎作所は存続の危機に直面します。「店を売ってしまうのはいつでもできる。けど、せっかくやってきた宮づくりやから、誰か引き継ぐ者はおらんのか」。親族一同で話し合い、白羽の矢が立ったのが、孫一の娘・正子の夫である川西忠治でした。忠治は伊勢の伝統工芸である木工品の刳物(くりもの)を作る家に生まれ、自身も刳物職人。妻の正子に対する親族の信頼も厚いことから、店のすべてを忠治に委ねたいというのが、親族全員の総意でした。

忠治は当時すでに50歳近く、なかなか決心がつきませんでしたが、最後には意を決して国民神殿斎作所を引き継ぎます。当時、宮師は1人だけ。忠治は孫一が担当していた茅屋根造りの仕事を継ぐと同時に、職人を集めに歩きました。そして、宮大工などの経験を持つ3人の職人が加わり、後には忠治・正子夫妻の仲人をしてくれた元家具職人も加わってくれました。こうして、どうにか店を絶やさず、宮造りを続けることができたのです。

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