第一章

宮忠創業

第二節初代が考案した、伊勢ならではの神棚

戦後すぐの時代、一般のお宅では神様をお祀りすると言っても、「天照大神」のお札を柱に貼るくらいのものでした。「これではあまりにお粗末で、神様に申し訳ない」と考えた孫一は、伊勢の内宮を模した茅葺きの神棚を、一般家屋にお祀りできる大きさで製作しました。立川氏の代に製作していたのも、同じ茅葺きでしたが、一般家庭向けではありませんでした。孫一が考案した新しい神棚を伊勢神宮に納入し、神楽殿で授与されると、参拝者から大いに喜ばれました。特に、1953(昭和28)年に行われた伊勢の遷宮の際には、買い求める人が取り合うほどの人気でした。

後の話ですが、孫一から数えて三代目となる現社長の川西治正が、二代目の下で家業に就いてしばらくした頃、週刊誌に広告を出したことがあります。それを偶然、東京で外科病院をしていた創業者・立川氏の息子・立川髙汎さんが目にして、「親父がやっていた国民神殿斎作所が続いとる!」と驚き、治正に「『大変な時期に店を買うてもらって、気の毒したな』と、親父が死ぬまで言っていた」と電話をくださったことがあります。それほどに事業を継承した当時は、先の見通しがない状態からのスタートだったのです。

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