第二章

新たな販路を求めて

第二節新たな販路を求め、
関東・東北行脚へ

その頃、店の従業員は、職人たちと社長である忠治、妻の正子だけ。営業活動をする者などおらず、新たな売り先を探すには、まだ職人仕事の見習い中だった治正が出向く他ありません。それまで持ったこともない名刺を刷り、往年の人気芸人・東京ぼん太が持っていたような唐草模様の風呂敷にお宮を包んで一つ二つとぶら下げ、東へ行く列車に乗りました。
東京・浅草には神具の専門店はありませんでしたが、仏壇の問屋が並び、「新しい神棚で新年を迎えたい」という需要がある年末だけは、神棚を販売します。そのような店を約束もなく片っ端から訪ねては、つかつかと店内に入っていき、「伊勢で造った茅葺きのお宮を、この店で売ってください!」と売り込みをしました。あるときは「そんなのいらねえよ!」と、聞き慣れない東京弁に圧倒され、やっとの思いで神棚を風呂敷に包み直し、早々に店を去ったこともあります。店が大きすぎて気後れし、とうとう入れずじまいの店もありました。今でもその店の前へ行くと、「あのときよう入らんだな」と、当時の屈辱を思い出すと言います。

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